(2月7日更新しました)

         第4回 土屋 美恵子さん(特定非営利活動法人 保育サービスひまわりママ 理事長)

    

●プロフィール

土屋 美恵子(つちや みえこ)

保育サービスひまわりママ 理事長(特定非営利活動法人)

東京都出身。幼稚園教諭を22年務めた後、退職。1996年に保育サービス「ひまわりママ」を代表として設立。1999年に東京都より、特定非営利活動法人(NPO)の認証を受け、理事長を務める。武蔵野市と協働で、多彩な保育サービスを提供している。28歳の長男と23歳の長女はいずれも社会人。

NPO保育サービス ひまわりママ

東京都武蔵野市境南町2-10-24

Tel: 0422-32-3322   Fax: 0422-32-3322

http://www6.ocn.ne.jp/~npomama/

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★バックナンバー★

第1回 坂田正樹(コピーライター)

ゼリグ広告事務所 

m-sakata@fb3.so-net.ne.jp

第2回 杉山由美子(フリーライター)

E-mail: ysugi3@par.odn.ne.jp

第3回 成田壽美子(不動産会社社長)

鰍キまいる情報 横浜

E-mail: smileyk@smj-net.co.jp

 

Contents

Q1. 以前は幼稚園の先生をなさっていたのですよねその頃のお話を聞かせてください。

Q2. そうするとご自分のお子さんが小さいときも、働いていらっしゃったのですね。

Q3. お仕事を続けようというのは、お若いときから思っていらしたのですか

Q4. お子さんが病気のときは、どうやって乗り切っていらしたのですか?

Q5. 幼稚園のお仕事を辞めてからは、どのような生活でしたか?

Q6. 「ひまわりママ」さんは、「保育サービス講習会」で出会った仲間と立ち上げられたと聞いていますが、どんなきっかけで講習会に参加されたのですか

Q7. 「ひまわりママ」を立ち上げたときは、どんなプロセスでしたか

Q8. 土屋さんはまとめ役になられることが多いですねてきぱきしていらっしゃるからでしょうか?

Q9. いつでも活発に活動されていますが、お子さんたちの反応はどうでしょうか

Q10. 現在の「ひまわりママ」の協力会員と、利用会員は何人くらいですか

Q11. 初期の頃、タウン誌に「ひまわりママ」が掲載されていたのをきっかけに、私も利用会員となったのですよね。その頃から専業主婦の方の支援やイベントの出張託児をなさっていましたね。

Q12. さらに新しい保育を始められましたね。

Q13. もう一つの新しい事業、「メンタルフレンド事業」について教えてください。

Q14. NPOに申請されたときのいきさつは、いかがでしたか?

Q15. 今まで「ひまわりママ」をやってこられて、苦労されたこと、よかったことなど、お聞かせください。

 (取材、文: 森田 千恵)

  Q1.以前は幼稚園の先生をなさっていたのですよね。その頃のお話を聞かせてください。

 土屋 新卒で、最初の幼稚園で5年経験しました。その後結婚して、結婚と同時に今の住まいの近くの幼稚園に勤めたんですね。地域の幼稚園でした。私は、ずっと私立の幼稚園に勤めました。そこで子どもを産み育てながら、17年間働きました。最初の幼稚園を入れると合計22年間幼稚園で働いたのですね。辞めたのは平成元年の6月でした。幼稚園では、クラス担任の後10数年、園長の代理とか主任という形で全体を見る仕事もしていました。先生方の研修や保護者のお母さんたちのケアをしつつ、子どもたちの全体的な様子を常に見ていたわけです。

 

  Q2.そうするとご自分のお子さんが小さいときも、働いていらっしゃったのですね

土屋: そうですね。働くお母さんでした。その前に勤めていた幼稚園は遠く、幼稚園は8時30分には始まります。職員は8時には出勤しなければいけません。だから、家に近い職場を選んだのです。

         子ども二人は公立保育園にお世話になったのですが、とても熱心な保育園だったので、親子ともども学ばせていただきました。私の仕事にも生かせましたし、子育ても助けていただき、ラッキーだったのかなと思いますね。

          第一子が5月生まれで(当時は育休はなく)産休しかなかったので、7月の10日くらいから早速預かってくれる人を探さなくてはいけませんでした。その頃保育園は1歳まで預かってくれませんでしたから。無認可のベビールームを見に行って、子どもたちが檻のようなところに入れられてわんわん泣いているのを見て、すごいショックを受けました。それを見たらそこには預けられないなと思い、泣いて帰ったのを覚えてますね。それで幼稚園の保護者の方とか、個人の方を頼って預かり手を探しました。

         私もその当時はあまり何も考えずに・・・・・・、当然預け先はあると思っていたんですよね。

 

   Q3.お仕事を続けようというのは、お若いときから思っていらっしゃったのですか?

  土屋: やればやるほどやりがいを感じていましたからね。やはり辞めたくないなと思いました。子どもが昭和48年生まれなんですが、その頃共働きが少しずつ出てきていたのです。

           勤めていた幼稚園の主任が当時まず子どもを産んで、私や他の職員が次々に後に続いたという感じでした。園長は、自分の子どもは自分で育てろという人だったので、それこそみんなで勝ち得ていったのです。その間、十数年間先生方が続けてくれたので、ベテランが多くて、園ではよい保育ができました。自分が子どもをもつと、子どもに対する気持ちも、お母さんたちに対する気持ちも違ってきますよね。子どもたちやお母さんたちの気持ちの痛みもわかりますし、子どもたちへの愛おしさも増しました。

 

   Q4.お子さんが病気のときは、どうやって乗り切っていらしたのですか?

  土屋: 最初の子は男の子だったのですが、熱を出しやすくて困りました。特に保育園に入ってから、ほとんど毎日37度5分の熱を出してました。

     幼稚園はなんとか14時くらいまでに終わりますので、熱を出して呼び出されたときは私が迎えに行って、翌日は主人が仕事を休みました。なるべく夫婦二人で乗り切っていましたね。主人はほとんど家事はしなかったですけどね。病気のときは休んでくれるということぐらいで。

     休むのが長くなるときは、1歳まで保育してくれていた幼稚園の保護者の方にみてもらったこともあります。ところが、その方たちが二人とも転勤してしまったので、いよいよ困って、主人の両親にみてもらったりしていました。主人の他のきょうだいも共働きはいなかったので、その中で子どもを預けたのも私たちが初めて。

     二人目の子どものときは、私の母が来てくれました。二人目は8月生まれだったので、残り半年以上を母がみてくれました。公立保育園に入ってからは、なんとか夫婦二人でやっていました。

     上の子と下の子は5歳違いなんです。仕事をしていて、続けて産むのはとてもできなかったです。

 

  Q5.幼稚園のお仕事を辞めてからは、どのような生活でしたか?

  土屋:下の子が小学校6年生でしたが、待ってましたとばかりにPTA会長をやってくれと頼まれました。その頃は今と違って、仕事しているっていうと、あなたは地域の幼稚園でがんばってくれているのだから私たちがPTAはやるわよって、他の親ごさんたちが気持ちよく引き受けてくれてたのです。だから仕事を辞めたときは、今までお世話になっていたのだから、じゃあ今度は私がやるわよって。

     その後は、青少年問題協議会という地域の活動のお手伝いをし、委員長もやりました。全市的な代表にもなりました。コミュニティセンターの協議委員や役員にもなりました。そうしてこのような地域の活動を一通りやったなと思えた頃に、「保育サービス講習会」を受けたのです。それが平成8年2月です。

 

  Q6.「ひまわりママ」さんは、「保育サービス講習会」で出会った仲間と立ち上げられたと聞いていますが、どんなきっかけで講習会に参加されたのですか?

 土屋:  エンゼルプランの一つで、ファミリーサポート事業という地域の子育て支援者を養成する事業がありました。その保育者を養成するために開かれていたのが、武蔵野市と女性労働協会(当時の労働省の外郭団体)が共催した「保育サービス講習会」だったのです。もう私は保育業界から足を洗ったつもりだったのですが、この講習会のお知らせを市報で読んで、好奇心が起こったのです。地域の子育て支援ってどういうものだろうと。

 

 

 Q7.「ひまわりママ」を立ち上げたときは、どんなプロセスでしたか? 

  土屋: 講習会を受講された方たちは、専業主婦で子育てしてきた方がほとんどだった。自分が子育てしていたとき、助けてもらえなくて困ったという話がたくさん出て来たんです。自分が病気のとき辛かったとか、上の子が病気のとき下の子をどうやてみたらいいか大変だったとか。だから子育て支援というのは、ありとあらゆるニーズがあるんだねと。形が決まっているわけではないねと話し合ったのです。

     私たちに何ができるかわからないけど、あらゆる親たちのニーズに応えていこうと。それが「ひまわりママ」の最大の趣旨なんです。

     設立のメンバーは23名です。最初講習会の修了生は五十数名いたんですけど、話し合いを重ねていくうちに、趣旨に賛同するのは23名ということになったのです。

     それと同時に私たちは、親だけの都合で子どもを預かるのでなく、子どもたちにとってもいい保育をしてあげたいねと。子どもたちの代弁者でありたいと。

     子どもたちにとって大事なときですよね。子どもたちはどんどん成長していきます。親と一緒にそれをバックアップしていきたいのです。

     「ひまわりママ」を立ち上げたのは、平成8年の7月でした。

 

 

  Q8.土屋さんはまとめ役になられることが多いですね。てきぱきしていらっしゃるからでしょうか?

 土屋:  「ひまわりママ」を立ち上げる話し合いをするときも、最初は隠れていたんですよ。でも、知り合いの方もいて、やれということになって。

     私は人に恵まれていますから。PTA会長をやったときも、会計や書記をやってくれた方たちが本当にしっかりしていて、できる方たちだったのです。今の「ひまわりママ」でもそうです。そういう意味で、私はとてもラッキーです。

 

 

  Q9.いつでも活発に活動されていますが、お子さんたちの反応はどうでしょうか?

土屋: そういえば、子どもが受験のときも、「お母さんは仕事辞めたって言ったけど、ほとんど家にいないじゃない」って言われたのです。「もうお母さんは仕事した方がいいんじゃない」って。

    今思うと、親があまり何もしないので、子どもたちも自分でやらなくちゃと自立してくれたのかもしれないですね。

    子どもは高校から自分でお弁当を作ってました。娘が大学受験の年に、私が福祉の視察にスウェーデンに行ったときも、家族の食事を作るよう娘に頼んで行きました。

    まだ「ひまわりママ」の事務所がない頃、うちの電話番号と住所を案内に記載していたのです。ちょうど忙しい夕方や夕食どきに、電話がどんどんかかってきて困りましたが、家族はしかたないなという目で見てくれていました。色々な場面を見たり聞いたりしている娘は、大学時代は夕飯作りをほとんどしてくれたりと良き理解者、相談相手となっています。

    そういう期間が1年間続いて、利用会員(保育を依頼する会員)が100世帯を越えたとき、協力会員の方(保育を行なう会員)たちが、土屋さんだけにおしつけていては悪いからと言ってくれて、事務所を借りることになったのです。

    ある団体に助成金を申請したら、30万円いただけることになり、平成10年の7月に事務所を借りました。

    たまたま私が引き続き地域の活動をしていたので、事務所を借りるとき、よくしてもらえました。家賃を格安にしてもらえたのです。