(更新:毎月15日)

                       第1回 坂田 正樹さん (コピーライター)

    

●プロフィール

坂田 正樹(さかた まさき)

コピーライター

石川県金沢市生まれ。広告制作会社7年間の勤務を経て’91年独立。               現在は、CS放送映画チャンネル、バリアフリー関連、エンタティンメント複合施設等の媒体広告・SPツールを制作する傍ら、ムック本「極上の湯宿」シリーズの執筆にも参加。

●日経広告賞/生活文化関連広告部門優秀賞「日立家電・除湿機」(’89年、’90年)

●京都新聞広告賞/審査員奨励賞「日立家電・除湿機」(’89年)

●日刊工業新聞社賞/ 第2席「日立建機・小型ショベル」(’90年)

ゼリグ広告事務所 E-mail  m-sakata@fb3.so-net.ne.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

Contents

Q1. コピーライターというのは、どういうお仕事なのですか?

Q2. コピーライターになるきっかけは何ですか?

Q3. その後、広告会社をいくつか移られてますが、なぜですか?

Q4. それでもフリーになられたのはどうしてですか?

Q5. フリーになられてから、仕事や周りの環境は変わりましたか?

Q6. コピーライターになるために必要なことはどのようなことでしょうか?

Q7. 今後はどのような方向を目指されているのでしょうか?

 

    Q1.コピーライターというのは、どういうお仕事なのですか?

    坂田:  わかりやすく言えば広告の企画・文案といったところでしょうか。一般的には「キャッチフレーズをつくる人」というイメージが強いと思いますが、それはコピーライターの仕事の一部分であって、実は地味で目に見えない作業の方が圧倒的に多いのです。

             平均的な流れとしては、まずクライアントから新商品のブリーフィングを受けたあと、広告表現の方向性についてディレクターやデザイナー、営業マンたちと徹底的に討論します。方向がいくつか決まったら、次はそのラインに沿って表現アイデアをラフなカタチで持ち寄り、さらに議論を闘わせます。そんなことを何度も繰り返しながら、少しずつアイデアを絞り込んでゆき、最終的に2・3案くらいのダミーを作成し、いざプレゼンテーション。この時コピーライターは説明用の企画書も作らなければならない。で、いずれかの案がめでたくクライアントのハートを射抜くことができたら、各パートごとに分かれて現実的な作業に移ります。コピーライター の場合は、広告本文の作成、キャッチフレーズのブラッシュアップ、時には取材もしなければなりません。デザインやイラスト、写真などとのバランスを考えながら推敲に推敲を重ね、ディレクターの承諾、そして最終的にクライアントの承諾をもらって、ようやく誌上に出るコピーとして着地するわけです。

 

 

 

    Q2.コピーライターになるきっかけは何ですか?

   坂田: 実は大学2年の時に映画の脚本家になりたくて、学校を中退しようと思ってたんです。ところが親に猛反対されてしようがないから1年間休学することで話が落ち着いた。若者特有の熱病に違いないと親は思ったんでしょうね。

            その休学期間に車の撮影をコーディネイトする会社でスタジオマンのアルバイトをしてたんですが、その時に華やかな広告界を目の当たりにしてしまったことが、その後の運命を決めてしまった。ちょうどその頃、糸井重里氏の“不思議大好き”とか“おいしい生活”などの名コピーが一世を風靡してて、脚本家よりも現実的でお金が稼げそうだと思ってしまった。気がついたら大学にも復帰し、雑誌社主宰のコピーライター養成講座にも同時に通い始めてた。親の勘が的中したわけです(笑)。

コピーの課題はけっこう難しく、講座を受けた8割の人は「イメージと違う」といってドロップアウトしていきましたが、僕は運よく水があっていた。でも、就職活動は厳しかったですよ。門前払いは当たり前、土下座で頼み込みも当たり前、結局、運命に身をゆだねるように、まったく行く気のなかった印刷系の広告制作会社に入ってしまった。とにかく現場で経験を積まなきゃ何も始まらない、そう思ったんです。

 

 

 

   Q3.その後、広告会社をいくつか移られてますが、なぜですか?

  坂田: 最初の会社では、旅行のパンフや塗料のチラシ等を作ってたんですが、そこの上司が理解ある人で「こんな所にいつまでもいちゃダメ。外へ出て大きく羽ばたけ」みたいなことを毎日のように啓蒙された。僕は正直なので、その言葉を真に受けて青山の超難関広告制作会社を受けて奇跡的に受かってしまった。でも自分の力量不足で結局半年ほどでクビになってしまった。精神的な暴力を日常的に受け、仕事も回してもらえず、最後の1週間は机もなくなっていた。初めての屈辱、挫折です。 自信喪失、長女の出産、無一文・・・土俵際に追い込まれてはいましたが、楽観的な僕は「あの上司の目はふし穴だ!」と、まだ心のどこかに余裕があった。

「自分をもっと泳がせてくれる会社があれば必ずやれる」そんな思いで、3度目の正直、銀座の中堅広告制作会社に入社した。この会社は、自分のスタイル、仲間、仕事、環境、すべての条件がほぼ完璧に揃い、いよいよ来たぞ!って感じだった。飢えていた分、強烈な狩猟本能が覚醒したような、そんな感じだった。「坂田くん、君にすべてまかせたよ」 普通ならプレッシャーになるこの言葉は、僕には天使の声に聞こえた。この時、自分の適応能力を発見し、自分なりにクリエイティブなスキルを急激に伸ばしたような気がします。

 

 

 

  Q4.それでもフリーになられたのはどうしてですか?

  坂田: この時点では、ほとんどフリーに近い状態でしたね。営業から企画、コピー、ディレクションまで、全てを仕切ってました。会社を辞める理由はまるでなかったんですが、フリーになることも、自分にとってはごく自然のことのように思った。過酷な現場から逃避したのではなく、平常心で会社を辞めた。自分を正当化するような言い訳は一切なし。 社長はマメ鉄砲を食らった鳩状態で嫌味の一つも言われましたが、円満退社なんて絵空事のように思っていたし、クビを切られた経験もあったので、まったく気にならなかった。

 

 

 

  Q5.フリーになられてから、仕事や周りの環境は変わりましたか?

  坂田: やはり始めの2年は厳しかったですね。それでも会社時代のクライアントに声をかけてもらったり、足を使った地道な営業をしてゆく中で少しずつ仕事の輪が広がり、なんとか生活できるレベルまでに押し上げました。

フリーの場合、まずビジネスフィールドを開拓しなければ、自分のスタイルもへったくりもないので、その土壌づくりが大変です。忙しすぎたり、暇すぎたり、ピンチヒッターがいない分、スケジュール調整は相当苦しんでる。でも、機転を利かせれば打開策はあると思うので、これから模索しようと思ってます。

 

 

 

 Q6.コピーライターになるために必要なことはどのようなことでしょうか?

坂田:  才能があるとかないとかはわかりませんが、その人の持つ資質は重要だと思う。下積みをしていても、好きだから苦にならない。あるいは、日常生活をフツーの人と同じ感覚で楽しみながら、その一方で、幽体離脱ではないけれど俯瞰からその生活ぶりを客観的に見ることができる人。実感と分析、その両方をできる人がいいと思う。

それから、新しいものを開発していきたいという発明意欲を潜在的に持っていることも必要かな。憧れやイメージだけだと、現場でのギャップを感じると思いますよ。 あとは、雑用係でもいいからアルバイトで現場の雰囲気を体験したり、自己アピールしてそのまま潜り込んでしまうのも手かな。コピーライター養成講座なども、一つのチャンネルと考えて積極的にやってみると、就職への足がかりになることもあると思います。

 

 

 

  Q7.今後はどのような方向を目指されているのでしょうか?

  坂田: フリーになってから超貧乏、超多忙の両極を経験しましたが、今後は「バランス」をテーマにさらなる夢を追いかけてゆきたいと思っています。自分だけが満足感を得るのではなく、家族も友達も、自分をとり巻くすべての人も、僕の人生の大切な一部です。家族を泣かせてまで夢を追うことを僕は夢とは呼ばない。単なるわがままです。妻が何かやりたいと言えば耳を貸すし、子供の将来のためなら自己犠牲も厭わない。そうした与えられた環境の中で自分なりの向上心を持ってポジティブに生きていきたい。具体性はありませんが、僕は映画や美術、音楽などに娯楽性よりも芸術性を追求するのが好きなので、何かそういった分野の中で、今まで培って来た「コピーライター」のノウハウを活かせるような仕事をしたいですね。