(更新:毎月25日になりました)

                       第2回 杉山 由美子さん (フリーライター)

    

●プロフィール

杉山 由美子(すぎやま ゆみこ)

フリーライター

静岡県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、鎌倉書房、日経ホーム出版にて編集者として働いた後、フリーランスライターにおもに教育、働く女性をテーマに取材執筆。本について書くことも多い。高1と中2の母

「バギーママの明るい憂鬱」(青木書店)
●「共働きで家を選ぶということ」「間違いだらけの塾選び」             (以上WAVE出版)
●「21世紀お子様教育事情」(婦人生活社)など。

●「いまどきの女の子を育てる100のヒント」(株式会社婦人生活社 平成13年8月初版発行)

おしゃれ、ダイエット、性、男の子などをテーマ別に、思春期の娘を持つ、母親の心得や、娘に対する接し方ばかりでなく、女性としての生き方を考えさせられる1冊です。

杉山由美子 E-mail ysugi3@par.odn.ne.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★バックナンバー★

第1回 坂田正樹(コピーライター)

ゼリグ広告事務所 m-sakata@fb3.so-net.ne.jp

 

 

 

Contents

Q1. なぜライターになりたいと思ったのですか?

Q2. フリーになりたいと思ったきっかけは何ですか?

Q3. 『日経ウーマン』で働いていたのは、どういういきさつで?

Q4.杉山さんはどこで仕事をなさっていますか?おつれあいもフリーランスですが、仕事場はどこ?家事・育児の分担はどうしていましたか?

Q5. 現在のお仕事はどんなものが多いですか?

Q6. ライターをやりたいという人がいたら、どうアドバイスしますか?

Q7. ずっと働き続けてきたのは、何が原動力ですか?

Q8. 今までスランプはありましたか?どうやって乗り越えましたか?

 (取材: 森田 千恵)

    Q1.なぜライターになりたいと思ったのですか?

    杉山:  高校時代から文章を書くのが好きだったんです。文芸部に入って文芸誌をつくり、さらに同志で同人誌も作ってました。その頃から締め切りに追われる生活だった。大学時代ももちろん文学研究会に入り、同人誌を作っていました。娘から言われるんです。「お母さんてずっと同じことしてる、信じられない。わたしだったら耐えられない!」って。

小学校6年生のとき考えたことが、「本屋のおかみさん」になることだった。作文はほめられたことなかったんですよ。でも、とにかく読み書きが好きだった。

その当時、それで仕事になるのってあまり思い浮かばなかった。小説家は大それてるし。

大学に入って、編集者という仕事があるのを知った。大学時代も校正のバイトをしていた。さらに、出版社のバイトをしている知人に働くにはいいよというのを聞いて、これはいいかなと。

ただ、なかなか四年制大卒女子は採用がない頃だった。オイルショックの年ですから。募集しているところを片っ端から受けたのです。

母が洋裁店をやっていたので、「マダム」とか「ミセス」とかしょっちゅう目にしていたので、そういう雑誌になじみがあったので、鎌倉書房に入りました。かなり就職戦線大変だったんですけど。

成績が良ければ、大手の放送局を受けられたんでしょうが、「おまえ、卒業できるの」ってそう言われてましたから。出版社も大手は敗退しました。

でも小さい会社でよかった。大手はすごい男女差別があったみたいです。小さい会社だから、かえってスキルが身についた。一から十まで自分でやりましたから。

 

 

 

    Q2.フリーになりたいと思ったきっかけは何ですか?

   杉山正社員の頃から、仕事のかたわら小説を書いたり、別の女性雑誌にも記事を書いていました。本の編集も、つてで他社から仕事をもらっていたのです。フリー願望も強かった。

会社に入った瞬間、「辞めたい」と思う人だったの。時間に拘束されるのがイヤだっていうのがあったから。自由きままが好きだった。出版社に入ってから1年目は広告部に配属されたので、よけい辞めたかった。その後「マダム」の編集に移ってからは、ほとんどすべての女流作家に原稿を頼みに行ったり、会いたい作家に全部会ったりしながら、冠婚葬祭とか年金について書いていました。

家事評論家っていう仕事もあるなあなんて考えながら。

実は、小説がある程度の賞まで行ったのですよ。あとちょっとというところでダメということが3回くらいあった。それでやる気が失せてしまったんです。30過ぎくらいのときでした。

これくらいなら(子どもを)産んじゃおうかな、って。会社にも居心地がよくなっていたので。男女差別もほとんどなく、お給料もいいし、女性がすべてを仕切っていて、女性の編集長も普通になりつつあったの。読み物のページのデスクという感じで仕事も任されていた。

でも、仕事には飽きてたんだと思いますよ。だから出産で自分の人生をリセットしたかった。

私は大学卒業と同時に事実婚をしていました。

パートナー(翻訳家)はアメリカ文学が専門だし、二人でけっこうフェミニズムにもかぶれてました。ちょうどウーマン・リブ運動が起こっていたし。

33歳で出産して、35歳で第2子を産んだら本当に大変になっちゃった。

結果として独立したのが88年、36歳のとき。そのまま会社にいても残業も多いし、すでに他の会社の仕事ももらっていたし、バブルだったからフリーでもやっていけるかななんて。子どもは本当にかわいかったから、もっと子どものそばにいたかった。私自身は母が自営業で子どもを見ながら仕事していたので、同じことをしている。

取材して書く雑誌記者としてやって行きたかった。編集は向いてないと思った。

始めに10年くらい組織にいて友人がいるし、少しずつ他社の仕事もしていたからなんとかなるかと思いましたけど。これはフリーとして独立したい人に言いたいのだけれど、案外あてにしていた人は仕事をくれなくて、意外な人がくれたりする。ふだんはつきあいが途絶えていても、相手がふっと思い出してくれます。一方でライターはいくらでもいるから、全然人脈がないのはつらいと思う。

そういう意味では、昔からの知り合いから仕事が来るのが1/3。なるべく署名で記事を書いていたので、それを見たり、単行本を見て引きが来たり。自分で開拓した人脈の紹介で仕事が来たこともあります。

明日は仕事がないかもしれないと思っている。友人の中でも、お金の計算がみっちりできる人はフリーになっていません。私は長期的展望に立って、お金をどうするって考える余裕がなかった。原稿を書かなくちゃとか、子どものごはんをどうするっていうので今まで追われていて。

 

 

 

 

   Q3.『日経ウーマン』で働いていたのはどういういきさつで?

  杉山: り合いの10歳くらい上の男性がいて、鎌倉書房を辞めるとき、相談に乗ってくれた。『パーソナル』という雑誌が17年くらい前にあって、日経ホーム出版で出されていた。そこで仕事をしたいと思って紹介してもらったところ、その雑誌が廃刊になって『日経ウーマン』が創刊されるので、そこで仕事しないかという話になったのです。

たった1年だけれど、『日経ウーマン』の編集部で契約社員として働きました。いきなりフリーになるのも不安だったので。

でも、とにかく残業が多くて、他社の仕事も請け負っていたので、働き始めて1年後の契約更新はしなかった。会社のほうもうまく行かなかったようで、編集長・副編集長などが異動になりました。30代、40代を視野に入れた雑誌でした。私はワーキングマザー向けのページを担当していたのですが、その頃ワーキングマザーそのものが企業にいなかった。まさにM字型曲線そのもので、取材に行っても、子どもをもって働き続けている女性がいない。婦人雑誌の業界には、たくさんいたのだけれど。その後、出版の世界は女の人が本当に増えていて、今も仕事をくれるのは女の人ばかりです。

 

 

 

  Q4.杉山さんはどこで仕事をなさっていますか?おつれあいもフリーランスですが、仕事場はどこ?家事・育児分担はどうしていましたか?

  杉山夫は、自宅から歩いて15分くらいのところに、仕事場をかまえています。私もフリーになった後、一時はそちらに通って仕事したりもしました。でも、自宅でもそこの仕事場でも仕事していると、あれ資料がこちらにないとか不便になって。結局私は家のリビングで仕事してます。

家事、育児を夫とどう分担するかでは、ものすごい戦いがあったわ。彼は子どもが好きではなかった。子どもはいらないって言っていたけど、子どもを見たらかわいくて、子育てにはシフトしていった。今になって後悔しているようですよ。もっと仕事すべきだったって。子育てなら何でもやっていました。(夫が言い出して、長女が生まれて3日目に入籍。彼は戸籍上でも父親になりたかったようです。杉山の姓に夫がなりました。)

家事は料理が中心だった。世の中の男性と比べたら他の家事も10倍やっているけど、私とはフィフティ・フィフティではなかった。

対外的なことは、お母さんが出ることが前提になっているので、‥‥保健所や幼稚園の遠足にも夫は行きましたが、「今日はお母さん、どうしたの」なんて聞かれて、うんざりしていました。

子どもたちは、保育園、学童保育には行かせず、ベビーシッターさんに8年間来てもらいました。初めの頃は、今の1/3の料金でお願いできたし、とても良い方だったので安心でした。

 

 

 

 

  Q5.現在のお仕事はどんなものが多いですか?

  杉山主な収入は雑誌、単行本はあてにできません。収入の計画は立てていられないという感じです。仕事の量も波があります。今日の午前中はT市の子育て講座の講師をやってきました。

原稿を書く仕事って、量が少なくてもそれなりに時間がかかる。書けないときはなかなか書けないけれど、ふっと書けたりもする。実際に書いている時間は短いので、うちの子から専業主婦だと思われているんじゃないかというときもある。

自分にとって、このくらいの収入は確保したいという目安はあり、努力はしているんですけど、月いくらになるかはわからない。単行本は手間も時間もかかります。やりたい仕事ですが、これを主にしては経済的自立はできません。雑誌のほうがある程度見通しが立てられますが、単発も多く、私自身は定収入があるわけではないです。仕事が一社に偏ることもなかった。

3年前まで夏休みは3週間から1ヶ月とる人だったから。8月にはいませんって仕事先には言っておいた。フリーになったそのときから、そういうやり方をしていた。だって、それもできないとフリーになった価値がないじゃないですか。「マダム」にいたときも、1ヶ月のうち10日間はなるべくフリーにしてました。試写会に行ったり、本を読んだり、展覧会を見たり。あまり取材のスケジュールは入れない。そして10日間は取材して、残り10日間は入稿と校正と校了。

出版社の社員の人も、最近社員を減らされて忙しくなっているみたいです。パソコンが入ったおかげで簡単に直しができるので、かえって仕事も増えてる。

フリーの私も、「え、二校も見なくちゃいけないの」って。普通、著者は初校どまりなんですけど。(注:初校は印刷に出した後の初めての校正。二校は二回目の校正。)金曜日に仕事を送って来て、月曜日の朝いちにあげてくれればいいですってあると、「土日に仕事しろっていうこと!」と頭に来ますよね。フリーを使って、いつでもやらせよう、安くしようっていうふうになってます。

いくつかの仕事をかかえていると、校正を見てると、他の原稿が書けなくなる、そういう苦労は常にあります。

 

 

 

 Q6.ライターをやりたいという人がいたら、どうアドバイスしますか?

杉山:  書くことが好きなのが一番ですよ。あと、色々なことにチャレンジしていること。

それと、仕事は基本的に安いからやらないということは、私はしなかった。時給に換算したりしたら、とてもやっていけないこともあります。一回の仕事では条件が悪い会社も、何回も仕事くれたりすると、けっこう長い目で見ると収入になっている。取材も必要なのに単価が安いという仕事も、自分にとって刺激になっていることもある。だいたい出歩くことはいいことなのよ。百聞は一見にしかず、ですよ。

ライターの仕事はワリが悪いって、みんなが言うけれど、仕事って半分以上がワリの悪いものだし。

「原稿料はお布施」だと私は言ってます。開けるまで、もらえるかどうかわからない。

(原稿料の)条件は聞いておいた方がいいけれど、値上げをお願いして成功した試しがないので、やめておいた方がいいみたい。だいたい単行本でも契約書もない出版社が多い。出版社そのものがルーズでズサンなんです。

ライターをやりたかったら、エディタースクールなどに行くのもいいけれど、まずは実際にその仕事をなんとか始めてみた方がいいですよ。実務経験が大事なんですから。

あと、フリーは人に会った方がいい。別に営業でなくても。私なんて元は人づきあいは苦手で、子どもにも「お母さんは友だちが少ない」って言われるんですが。

 

 

 

  Q7.ずっと働き続けてきたのは、何が原動力ですか?

  杉山 私が会社に入ってから、友だちがいつ辞めるかって賭けをしようとしていたのです。「あいつは3日しかもたないだろう」、「3ヶ月くらいかしら」って。で、続けるというのに賭ける人がいなくて、賭けが成立しなかったくらい。

出版社が体質に合っていた。

それに、ウーマンリブの影響があったので、経済的自立にはすごくこだわってましたよ。なんとかできたのは、運もあったと思う。鎌倉書房に入っていたから。組合が強くて、同一年齢同一賃金だった。大きな会社のような、男女差別はなかったから。

働き続けてきたのは、「読むこと」「書くこと」が好きだったから。ここで友人もできた。自分が自分らしくいられたからですね。

 

 

 

 

    Q8.今までスランプはありましたか?どうやって乗り越えましたか?

 杉山: 3年くらい前に体調が悪くて、経済的なことも気になって、スランプになりました。今後仕事はなくなるかもって落ち込んで、精神的に鬱状態だった。

今もその状態から抜け出したとは言えませんが、もう少し前向きになっています。ちょうどギアチェンジしなくちゃいけないと思っているところですね。自分の年齢に合わせて自分のことが書きたくなっている。「幼い子どもの育児」からは遠くなっているので、もっと中年向きのものをやっていきたいです。

出版そのものも、先行きの見通しがつきません。活字がなくてもいいっていう子もいる。でもここまで来たから、私は出版文化と共に滅びるつもり。HPの記事を書いてくれっていう仕事も来るんです。来たらやりますけど、基本は活字で行きたいと思います。

 

 (文責: 森田 千恵)